『昨年から「捨てる生活」を続けていますが、目的は「モノを減らすこと」ではなくて「不要品を減らすこと」です。』
と、前回、書いてから、じゃあ「不要品」って何だろうと気になりだしました。

もともと「不要品」なんてないはずです。
だって、何かしら意味があって作られたはずだから。

過剰包装や趣味でない贈答品などが取り上げられることもありますが、それは過剰に包装した人間が悪いのであって、紙や梱包材が悪いわけではないです。
贈答品も、品物自体に罪はありません。

でも、それ以上に自分(あるいは家族)が安易に持ち込んだもののほうが多いですよね…?

もし、これが人間相手だった場合。
例えば、遊びに行こうと適当に友人に声をかけ、思ったより多く集まったからといって
「車に乗れないから、あなたは不要。帰って」
なんて、言いませんよね、絶対。
事前に人数を確認し、交通手段を決めるはずです。

あるいは、好きで交際していたけど、お互いの気持ちが変わってしまった場合。
「以前、好きだったから」
とずるずる何年も付き合うより、前向きに対処したほうがいいですよね(多分^^;)

モノ相手でも同じことなのでは…。

「安かったから」「タダでもらったから」「あると便利だから」
と、安易にモノを持ち込み、モノが増えたからといって邪魔にするのは…。

「お気に入りだった(過去形)から」
と、すでに流行もサイズも変わってしまった何年も前の服を、ずっとタンスにいれていても…。

ガラクタ捨てれば自分が見える(カレン・キングストン 小学館)によれば、ガラクタとは
 1.使わないもの、好きではないもの
 2.整理されていない、乱雑なもの
 3.狭いスペースに無理に押し込まれたもの
 4.未完成のもの、全て(壊れたもの、取れたボタン、清算すべきもの…など)
の4つに分類されています。

ガラクタ(不要品)を処分することで自分が身軽になるのと同様、モノも解放されると思います。

「捨てるのはもったいない」とずっと持っていると、同じように安易にモノを増やしていく結果に。
あるいは、きちんと片付ければ使えるものもあるのに、必要なときに出てこないので結局同じものを買ってしまったり。

これ以上、不要品を増やさないようにするためにもモノを解放しましょう。

まだ、使えるから…と、使う必要もないのに無理に使うのはやめましょう。
好きでもないのに付き合うのは、誠意がない行動です。
自分のためにも、モノのためにもなりません。

人様に譲ることができるのなら、譲りましょう。
他の方に使っていただけたら、押し入れで埃をかぶっているよりずっとモノも幸せ。

壊れたものは、修理できるものはさっさと修理し、出来ないものはいさぎよく捨てましょう。
きちんと分別して、リサイクルできれば、別の形で生まれ変われるかもしれません。
(と、自分に言いきかせています…)

<本日の3つの処理>
1.子ども達を病院へ
2.プランターの手入れ
3.お風呂の排水口の掃除

<本日の5つの処分>
1-4.指サック ×4ヶ
5.粉チーズ(消費期限切れ)

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